『ビニールの城』

『ビニールの城』

作:唐十郎 演出:金守珍
監修:蜷川幸雄

 

▼あらすじ
腹話術師の朝顔(森田剛)は、居なくなってしまった相棒の人形、夕顔を探していた。ある日、彼は神谷バーで、アルバイトとして働くモモという女(宮沢りえ)に出会う。彼女はかつて朝顔のアパートの隣の部屋に住んでいたと言い、朝顔に会いたかった、自分を助けてほしいと懇願するが、生身の人間が苦手な朝顔の態度はつれない。そんな中、モモの夫である夕一(荒川良々)は、実は朝顔のことを愛しているモモに自分を見てもらうため、自分は夕顔であると主張するようになる–。


自分であらすじ書いてみたけど、全然意味わかんないぞ・・・。でもこれは私の文章力のせいだけじゃない。本当にこういう話なんです。

この作品を観たのはもう1ヶ月以上前になるけど、真っ先に思い出すのは「カミヤ・バー」のセット。
レトロなカウンター席と、足下に浅い池か大きな水たまりのように水が張ってあるテーブル席。その水がすごくきれいで、でも、違和感に気味が悪いとも思う。
実際の神谷バーには、少なくとも今は、水なんて張ってない。ラストでモモがこの中へ消えていってしまうことから考えても、ただなんとなく張ってある訳じゃないはず。ここから先は、私なりの推測です。

この物語の中でたびたび登場するのが、タイトルにもなっている「ビニール」、神谷バーの看板メニューである「電気ブラン」、朝顔が腹話術の人形を称する「遠くから来た」という表現、そして「水」。

▷ビニール
モモが自分から被ったり、顔をうずめては「苦しい」と叫ぶビニール。
モモが仕事仲間のリカに「ビニールの城のお姫さま」とからかわれたことからも分かるように、このビニールはビニ本(今でいうところのエロ本)にかけられたビニールであって、モモが囚われ続けているものでもあるし、朝顔とモモの間の超えられない壁でもあるのかもしれない。
朝顔は、ビニールの掛けられていない生身のモモを、受け入れることが出来なかった。

電気ブラン
電気が走るように強く、安くてすぐ酔える酒。
この作品の中では、変なことを言い出したら「電気ブランの飲みすぎですよ」と言われたりしていることから、気が狂っているのをごまかすためにとりあえず電気ブラン飲んどけ、飲ませとけ、みたいな使われ方をしているように思う。
電気ブランを飲んだ朝顔が、そのアルコールの強さに体が痺れさせるところで、光がチカチカ(爆竹みたいなのが鳴ってた気すらする)して、ゴリゴリのハードロックなBGMが流れた時には「そ、そこまでやる・・・?」とちょっと笑ってしまった。
物語とは関係ないけど、朝顔を演じた森田剛さんはめちゃめちゃにお酒弱いから、きっと一杯も飲めないんだろうなあとぼんやり思った。

▷遠くから来た(人/女)
朝顔は腹話術の人形を「遠くから来た人」と呼び、夕一は朝顔にモモのことを語るときに「遠くから来た女」と呼んだ。
恐らくだけど、「遠くから来た」というのは「生身でない」という言葉とほぼ同じ意味を持っているんじゃないかと思う。

▷水
私の解釈では、水はもう一つのビニールなんじゃないかと思う。それっぽい描写は下の3つ。
①モモがカミヤ・バーにいるとき、長靴を履いて、金魚の入った小さな水槽を斜めにさげ、カウンターでの仕事が終われば水の張ったテーブル席へ向かう。
②モモが言づけをした昼顔という人形が水槽の中に入れられた。(この前にも、水槽に潜ったリカが「ビニールの城が見えた」と発言している)
③モモが最後に消えて、そしてまた現れるのが水の中。

朝顔、モモ、夕一の3人は、最後までお互いを分かり合うことはない。それぞれの愛情は空回りして、そのうちにモモは水の中のビニールの城に捕らわれて、物語は終わる。
最後のモモのシーンとか、かなりファンタジーなところがあるなあと思ったし、セリフはよく意味がわからなかったし、元がアングラ演劇なこともあって、全体を通して薄気味悪い印象を受けた。
でもこうして戯曲を読み返して振り返ってみると、面白かったなあという感想が残る。意味のわからなかったセリフも、文字で、自分で読んでみると、なんとなくすっと入ってくるようで不思議。
気味は悪いけど、嫌ではない、ヘンな作品だったなあと思う。